165系急行「佐渡」ラストラン2003 平成15年6月21日・22日 165系電車引退記念 |
信越本線・上越線 (新潟ー上野) |
※<急行佐渡号とは> 佐渡号は、上越新幹線がまだ走っていなかった時代、 上野から群馬県を通り、長いトンネルをくぐって魚野川を渡り、越後平野を駆け抜けて 新潟までを、5時間かけて結んだ急行電車です。 165系電車を利用した急行としては、佐渡号が全国で2番目でした。 |
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ここが鉄道ファンに人気の「岩原の大カーブ」 (上越線 岩原スキー場前ー越後中里間の電車内から) |
いったん越後湯沢に行きレンタサイクルで岩原スキー場前駅に やってきました。昔は日本一長い駅名でした。 さあ、佐渡号に会うためにいよいよ大カーブへ! |
「きた!」 165系の急行佐渡号と初対面。 |
あっという間に通過。 |
早苗の田んぼの中を・・・ |
急いで自転車に乗って越後湯沢へ。 越後湯沢駅で、急行佐渡号は20分間停車。 |
<急行佐渡人気のひみつ@> ・日本の高度成長を支えた165系車両 165系車両は、山岳路線用に作られた急行専用車両で、 昭和の高度経済成長期に誕生。「みかん」をもとにデザインされた オレンジと緑の色合いから 「湘南カラー」や「かぼちゃ電車」などと呼ばれ、親しまれました。 新潟では、急行佐渡や普通列車として上越線・信越線を中心に 大活躍。165系急行形電車は、新潟の鉄道の発展に 欠かせない存在だったのです。 |
行き先表示板。 「佐渡」の列車名板は当時と同じ物。 |
急行佐渡。ヘッドマークが大きくてカッコイイイですね。 |
かつての親友特急「はくたか」と並ぶ。 はくたかは、佐渡が走っていた頃、 上野と金沢を、佐渡と同じ上越線を通って運転していた。 |
この写真、部屋に飾ってあります。 |
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越後湯沢からの旅立ち。 国鉄式の駅名看板とのショットは懐かしい。 |
越後湯沢駅前の記念碑。 急行「佐渡」の文字も刻まれています。 |
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急行佐渡の復活運転を知らせるポスター。 |
正面の山並みが上越国境(上州と越後)。 鉄道と雪の壮絶な闘いが繰り広げられました。 |
<急行佐渡人気のひみつA> ・豪雪と闘って走る姿 急行佐渡号の人気は、その走る姿にあります。 群馬・新潟県境では、急勾配そして豪雪と闘いでした。 雪をかいてもかいても、落ちてくる、そこを疾走しする姿が、 多くの人の胸を打ちました。 ・山を越えて谷を渡る沿線の風景 信濃川、谷川岳、赤城山、都市の町並みと駆け抜ける、 変化に富んだ風景はまさにドラマチック。 途中、上越国境(群馬・新潟県境)に立ちはだかる清水〈しみず〉トンネルは 、あの川端康成の小説「雪国」に登場した「トンネルを抜けると そこは雪国だった。」・・・のトンネルです。開通当時は日本一の 長さを誇っていました。 |
長岡駅でも発見。 信州の英雄急行アルプスも復活します。 |
急行佐渡を出迎える長岡駅の言葉。 「待っていたよ」という気持ちを感じます。 |
平成15年6月22日(日) 友達の家に泊めてもらい、急行佐渡を追う2日目が始まります。 |
<急行佐渡人気のひみつB> ・集団就職などで新潟から東京へ出た人々の思い出の列車 今回の復活運転で若い頃を思い出された方も、 多かったことでしょう。急行佐渡を利用したのは、 高度成長期の日本を支えた人々、つまり 今20代の子どもを持つお父さんお母さんの世代から、 6,70代あたりまでのみなさんでした。 急行は、特急よりも値段が安く、庶民的で気軽に乗れる列車として 多くの人が利用し、その分たくさんの思い出も運びました。 |
電光掲示にも、いよいよ「佐渡」「上野」の文字が。 |
新潟駅でも急行「佐渡」を大歓迎。 |
号車入口案内札。165系急行佐渡は今日で最後。 佐渡という列車名も今日で最後かもしれない。 |
9時51分、ものすごい人! いよいよ上野行急行「佐渡」が入ってきた。 |
新潟地区の普通列車と並ぶ。 |
家族づれ、おじいちゃんと孫、鉄道ファン・・・ 佐渡号の花道を見送る人たち。 |
望遠で。 |
SLばんえつ物語号と顔合わせ。 165系急行佐渡のラストランをこれから見送る。 |
ヘッドマークをつけて走るのも今日が最後。 |
ホームでは佐渡のコーナーも。 |
165系急行佐渡のラストランが スタートした。 |
初夏の魚野川です。 新幹線で先回りし、急行佐渡を見送ります。 最後に見た急行佐渡号。田んぼの中をものすごいスピードで疾走していきました。 |
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新潟の鉄道を支えた列車がまた1つ、姿を消しました。 |
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