トキいろ本線写真館
特急白鳥2001
2001(平成13)年3月2日(金)運転終了   撮影地:糸魚川市


▲快晴の富山を駆け抜ける白鳥。(2001年2月 呉羽ー富山間にて)





▲白鳥号最後の日の富山駅にて。(2001年3月2日)




■日本一の長距離昼間特急「白鳥」の物語

 日本海に沿って大阪と青森を結んだ、特急「白鳥」。 1040qを、12時間45分かけて結んだ。



 登場したのは昭和36年。白鳥は、北陸本線を走った最初の特急だ。 40年もの長い間多くの人から親しまれ、走り続けてきた。

 そのころはまだ黒くすすけた「SL」が主流だった北陸線。 そこに投入された、真新しいぴかぴかのディーゼルカー。白鳥は、 「北陸線の女王」とよばれた。

 日本海側に飛来する「白鳥」から取ったその美しい名前。 他の列車に付く「号数」は、白鳥にはつかない。 質実剛健。1日1往復。堂々と走りつづけてきた特急「白鳥」。

 ここでは2001年3月で幕を閉じた白鳥の思い出をつづる。


■白鳥廃止までの歴史

<白鳥号の誕生>
 白鳥が誕生したのは、昭和36年10月1日、 当時東海道本線に限られていた特急列車が北陸、 東北、九州にも誕生し、全国に特急列車網が完成。 大阪駅では、日本海側初の特急誕生を祝し、 盛大に出発式が行われた。当時特急は文字通り、 「特別な列車」だったのだ。

<人気列車へと成長>
 新型ディーゼルカーを使用した特急として誕生した白鳥は、 15時間かけて大阪と青森を結んだ。食堂車も連結し、 当時の生活レベルの遙か上をゆく豪華さを持っていた。 また、大阪から直江津を経由し上野までを結ぶ編成を連結。 北陸と東北、そして東京を結んだ白鳥は、 人気列車になっていった。

<全盛期〜終焉>
 昭和40年からは、上野行の白鳥を「特急はくたか」として独立させ、 さらに白鳥号は2往復に。このとき全盛期を迎え、 一貫して大阪―青森間を走りつづける。 しかし、最近は飛行機とのスピード競争にさらされ、 日本海縦貫線の利用客は激減。2001年3月3日のダイヤ改正で、 姿を消すことになった。

<白鳥の果した役割>
 白鳥は、青函連絡船を介して、関西、北陸と東北、 北海道を結ぶ日本海縦貫線の特急として走りつづけてきた。 日本海側を縦貫する鉄道は、「北前船(きたまえぶね)」 以来の重要な交通動脈だった。日本海側各地には関西の文化が 影響を与え、また関西はこのルートによって北の文化を 取り入れてきた。
 その中で白鳥が40年間走り続け、 果たしてきた役割を忘れることはできない。

<2002年から「白鳥」は津軽海峡を越え北海道へ>
 現在白鳥は、東北新幹線の終点八戸(はちのへ)と函館を結ぶ 特急として、青函トンネルを駆け抜けている。



■糸魚川と白鳥

 管理人のふるさと新潟県糸魚川市には、直流と交流の切り替え地点 「デッドセクション」がある。北陸線に乗車したことがある人はご存知だろうが、 この切換地点を電車が通過する際、車内の電灯が消え、 (夜であれば)真っ暗になる。全国にこのような区間はわずか8ヶ所しかない。 特急白鳥は、長距離を走るがゆえ、この切り替えを3回も行って 大阪ー青森間を走りつづけた。  また糸魚川地区では、白鳥の上り下りがすれ違う場所としても知られてきた。



▲糸魚川駅では、青森行きと大阪行きの白鳥が20分差で到着。
列車が遅れるなどするとすれ違いも撮影できます。
この写真も。右端に大阪行きの白鳥がいます。見えますよね?






▲デッドセクションを通過する白鳥。
「切換」の文字がその印。(糸魚川ー梶屋敷)






▲糸魚川は、大糸線からの乗り換え客も多かった。




■「青森」・・・遠い遠い地名への憧れ

 管理人の家の50メートル先は北陸線の線路。 雷鳥、北越、かがやき、白山、そして白鳥・・・北陸線は、 宝のばらまかれた路線だった。

 当時白鳥は、新潟の上沼垂運転所の車両で、時刻表上では「デラックス車両」 と呼ばれていた。上沼垂区の485系は、 塗装は今と代わらないものの、当時はボンネット編成があり、 貴重な存在だった。しかし、当時の管理人はボンネットの良さがわからず、 むしろ非貫通編成の写真ばかりを撮っていた。

 それでも、「青森」や「上野」という響きがかっこよく、 白山と共に好きな列車であったことは間違いない。 この特急にのって遠いところに行くのが夢だったのだが、その夢もかなわなかった。



▲白鳥・青森。小さなころその響きに憧れを感じました。




■白鳥がきっかけ 親友との出会い

 新しい友達ができたのは、この白鳥が縁だった。 今から1999年1月7日、高校の模擬試験の帰り、 管理人は直江津行き普通列車に乗る予定で、 その前にくる白鳥を見送ろうとホームに先に入っていた。 そこへ、白鳥の写真をとろうという、鉄道好きの男の子がいた。 白鳥が行ったあとで声をかけると、小6で、 周遊券を使って埼玉から北陸に来たとのこと。 当日の雪にびっくりしていた。



▲出会った日もこんな感じの吹雪でした。 (糸魚川・青森方にて)


 その後文通が続き、彼も2006年で二十歳。 白鳥廃止直前の2月11日、撮影旅行に信越線の青海川まで一緒に 行った。彼にとっても、それが白鳥の最後の姿になってしまった。 出会いを作ってくれた白鳥に「ありがとう」。






■白鳥さよなら記念

   

▲記念グッズ+翌日ダイヤ改正日の新潟県の地方紙面。

● 記念オレンジカード
 運転開始当時の「キハ80系・白鳥」と、現在の「485系・白鳥」を プリントしたオレンジカードが、オリジナル台紙つきの2枚組で 限定発売。JR西日本金沢支社、JR東日本新潟支社ともに数日で完売だった。
● 「さよなら白鳥・特製駅弁」
「白鳥」及び北陸本線経由の主な特急列車内、及び主な駅で、 「さよなら白鳥・特製駅弁」が発売された。幕の内弁当の中に、エビ、ハマチ、ホタテ貝などの 日本海沿線の味の数々が並んだ。
● 最終運転列車記念乗車証配布
 最終運転日の「白鳥」に乗車の客「全員」に、 記念乗車証が配布された。あー、乗ればよかった・・・
● 「さよなら白鳥・最後の出発式」
 最後の運転日3月2日、利用に対する感謝の気持ちをこめて、 JR西日本は始発の大阪駅で出発式を実施。




つづいて 白鳥号の風景写真!
特急白鳥・思い出の風景



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