片貝奉納大煙火2006 初めて見た四尺玉の大花火
2006(平成18)年9月10日(日)   撮影地:小千谷市片貝町
 大空を覆い尽くすように開く奉納花火の数々。 神社のすぐ真裏で上がる花火は、 まるで光の雨が降ってきたかと思うほどの迫力。 2006年9月9日(土)、10日(日)、 生涯初、ついに 片貝の大花火を体感した。

 新潟県小千谷市片貝町。 世界一の四尺玉花火で知られるこの町の花火は 長岡、柏崎と並ぶ越後の三大花火の一つ。 毎年20万人もの人が訪れる。 2日間で2万発。 うち四尺玉は2発、三尺玉も6発打ち上がる とてつもない花火大会だ。

 そしてこの花火の最大の特徴は その一発一発に人々の思いが込められているということ。 打ちあがる花火を見ながら熱狂する人・・・ 光に照らされながら涙を流す人・・・ そして 花火に感謝の祈りをささげる人・・・。

 喜び、哀しみ、愛情、そして別れ。 片貝の花火には、様々な人の思いが込められている。 だからこで見る花火は 人の心を打つ。 




■浅原神社

 花火が打ち上げられるのは、新潟県小千谷市片貝町の浅原(あさはら)神社。 片貝花火は、正確には「浅原神社秋季例大祭奉納大煙火」と言い、 奉納された花火玉を打ち上げるという祭りだ。 打ち上げ前には、観衆も花火師もこぞってお参りをする。 片貝の花火ではこれが大きな意味を持つ。

片貝の花火が始まったのは今から400年前の江戸時代初期のこと。 各家々が、お賽銭代わりに花火玉を作って持っていき、 その花火を秋の片貝祭りであげてもらったというのが始まり。 以来秋祭りでは奉納された花火を打ち上げるようになった。 片貝で打ち上げられる花火は「奉納煙火(ほうのうえんか)」とよばれる。 奉納された花火玉は、400年たった今でも神社に納められる。













■花火はどこから上がる?

 神社の裏から上がる。
 上の写真でいうと、写真左の看板、「観」の字と写真左隅の位置だ。
 普通の花火は、神社の正面から見ると時計の1時方向で、 また三尺、四尺玉は0時半方向で見える。境内の中でも場所取りはできるが、 通行人や林がじゃまで花火はよく見えない。



■おすすめは の「有料自由席」

写真左手に林と順者の社殿がある。 写真奥は桟敷席。7月末に電話予約したのに そのときでさえすでにいっぱいだった。 今回花火を見たのは「有料自由席」。写真中央の微妙な広場である。 桟敷席並みの見やすさが好評。開場とチケット発売は3時からということで、 並ぶつもりで2時に行ったのだが・・・、すでにあいていた。 ピクニックマットは、神社の人が順番に広げていく ブルーシートの上に敷く。見やすいところから敷いてくれるので 不公平もなく、みなマナーよく場所取りしていた。

ちなみに、花火打ち上げ直前には満員御礼の札が出され、 この場所ほか境内の中は人であふれかえっていた。 路上でうろうろしながら見ることに比べたら、1000円は安い。

席取り完了後は、露店や花火の資料展などを見てまわり、3時半のバスで いったん長岡駅に引き上げた。










▲ 自由席の奉納金を支払うと、浅原神社の印の入ったお札が渡される。 10という数字はなんだろう、10人目というわけでもなさそうだし・・・ 場内から出る際は外出証を首にかけてもらう。 うっかりもらい忘れると場所取りしたのに中に入れないなんてことも・・・








 

■片貝vs長岡 大玉対決の歴史

 今から115年も前の明治24年、 日本で初めての大玉花火「三尺玉」の打ち上げが、ここ片貝で成功した。 遅れて長岡でも大正15年9月14日、正三尺玉の打ち上げが成功したが、 太平洋戦争でどちらも中断。 昭和44年に片貝で三尺玉が復活すると、長岡と片貝の花火対決の歴史が始まる。

 1982(昭和57)年9月10日、片貝で町民一同が成人へ奉納した 「三尺三寸玉」の打ち上げが成功すると すかさず長岡も翌年の昭和58年8月2日、「三尺五寸玉」の打ち上げに成功した。 そして昭和57年9月10日、片貝で「正四尺玉」の打ち上げが試みられるが、 本番では失敗に終わる。試行錯誤の末、翌年1985(昭和60)年9月10日、 世界一となる正四尺玉の打ち上げに成功した。
 これらを支えてきた越後の花火師たちの大玉にかける意気込みが伝わってくる。




 花火筒のモニュメント(旧国鉄魚沼線片貝駅跡地)

■正四尺の「正」の意味

 正三尺、正四尺の「正」の文字はきっちりの寸法と言う意味ではなく、 「火薬取締法で規制されている火薬の量(花火玉一発に入れることのでき る量)が正しく入っている」という意味なのだ。

 長岡では四尺玉はあがらない。 花火技術が進歩し、決して危険だからと言う理由ではない。 花火が上がって「美しく花開く大きさの限界」が三尺で限界だ、と言われているのだ。 長岡は美しい花火を極めているのに対し、 片貝は町民一同から成人への祝福を意味し大きな花火にこだわる。 個性豊かな長岡と片貝の花火は、お互いを刺激しあいながらも成長し、 日本を代表する花火となった。どちらも新潟の誇りだ。















  

▲ 祭り当日までの準備で最も大変なのが、この屋台作り。
当日は同級会で作った屋台をみんなで曳き、
町内をねり歩く。そこに当時の担任の先生を招待する。
小学校卒業の担任が還暦の花火に招かれれば、
卒業から実に53年の月日が流れたことになる。
それが今も昔もずっと続いている。



■祭りの主役は「同級会」

 人口5000人の片貝町は小千谷市の管轄にありながら、 今でも片貝中学校の入学生は片貝小学校の卒業生のみという流れを守っている。 つまり同じ年に生まれた仲間は全員が幼ななじみになる。
 中学を卒業すると必ず同級会を作る。
 片貝花火では、20歳の成人、33歳と42歳の厄年、50歳、60歳の還暦の年に 同級会ごとで花火を打ち上げる。○○会というのは、その同級会の名称。
 今年の成人は「愛星会(あいせいかい)」、還暦は「さざなみ会」だ。
 秋の花火はまさに絆の象徴なのだ。
 成人にとっては、この第1回目の花火や屋台曳きが、 町の人たちに自分たちを成人として認めてもらうための儀式となるのだ。

 結婚式にも上げる、子供が生まれても上げる、 あげくの果てには死んでも上げる。
 うれしいときも、悲しいときも花火を打ち上げる片貝町の人々。 一瞬の輝きとそれを見て喜ぶ観客の笑顔のためなら、お金は惜しまない。 それが片貝町の人々の気質なのである。 この2日間の花火のために毎日働いていると言っても、 決して言い過ぎではない。

















■花火番付 (ポスターつきで奉納金1000円)

この町の花火の特徴は、花火のスポンサーの大半が「個人」であるということ。
ゆえに、その一発一発に人々の思いがこもっている。
それがつづられているのが、「花火番付」だ。
 結婚、出産のお祝いや追善供養など、実に様々なメッセージが
新聞紙大12ページに渡ってつづられている。


















■雨天でも 絶対決行!

▲ 風速10メートル以上の場合以外は雨でも雪でも打ち上げる片貝の花火。
今日はみんなカッパを着ての観覧となった。 場内放送では
「大変な天候ではありますが、奉納大煙火は夜7時半より 予定通り行います。片貝町の花火は台風以外で(打ち上げを)止めたことはありません。」
とはっきりと言い切っていた。 花火には片貝の人々の願いと、何にも負けないという強さが込められている。




■アナウンスに注目

片貝花火の特徴の一つに「奉納花火」であることがあげられる。 花火のアナウンスも
「○○株式会社提供5号2発・・・」
と言わず
「○○株式会社奉納・・・」
と言うし、 どんな小さな花火に対してでも おめでとう、ありがとうといった 「メッセージ」が読み上げられる。
メッセージがなければ、片貝の花火じゃないとも言えるほど、 納涼を目的とした全国の花火大会とは全く異なる、「特別な花火大会」なのだ。












■花火への道

▲ 町を練り歩いた屋台は、仲間全員とともに神社の参道をのぼる。
その時刻とのぼる順番は決められている。主役の成人たちは
2日目の一番最後だ。
神社の前で「気やり」とよばれる歌を歌いおはらいを受け、
各同級会の花火は打ち上げとなる。















打ち上げ開始は夜7時30分
とにかく長い奉納煙火。

10日は 8時30分、9時30分にそれぞれ正三尺玉が登場
9時55分は 成人「愛星会」のスターマイン。

そしてその成人たちを祝福する思いを込めて、

夜10時00分

片貝町町民一同奉納
世界一、世界一の正四尺玉。














 

■ 四尺玉 2種類の模様



▲(左)は今年2006年9月9日に打ちあがった正四尺玉と同じ模様の写真。

「正四尺玉昇曲導付黄金簾小割浮模様」
(〜のぼりきょくどうつき おうごんすだれ こわれうきもよう)

 尾を引きながら竜のように空へと昇っていき、開花後は金色の柳で終わるパターン。 長岡で毎年上がる正三尺玉と同じ形。


▲(右)は今日2006年9月10日にあがる正四尺玉と同じ模様の写真。

「正四尺玉昇曲導付千輪二段咲」
(〜のぼりきょくどうつき せんりん にだんざき)

 1回目の開花では尺玉程度の大きさの紫色の花が咲き、その3秒後に 金色の小さな花火が一斉に開花するというパターン。 観客の歓声が大きいのはこちらのほうだ。
















2006年9月10日(日) 夜10時00分打上
世界一の正四尺玉。     ・・・・・・?



▲ ハハハ ざんねーん!。
強い雨でもなく小雨でもない、「霧」状態の雨だった。
一番なってほしくない天候だった。むしろ完全な雨のほうがよかったのかも。

観客からも、「うわーーー」という歓声よりも
「あーーーーー!ぁーーーぁ」というため息混じりの声のほうが大きかった感じ。
神様は「来年また来いよ」とおっしゃられたかのよう。
昨日9日も来て1発は見たけど、今日も見たかった。う〜ん無念!!














あとあと気付いたが、自由席代で奉納金は支払ったが、
社殿にお参りはしていない。

もやもやの四尺玉 バチがあたったのでは・・・?


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