▲ 長岡の街並みと、上越新幹線原色編成「200系F19」。
長岡駅を出発していくところです。
2005年7月9日 長岡駅付近
▲ 上越新幹線といえばこのカラーリングをイメージする人が多いでしょう。
開業から25年。老朽化と新型車両の投入により、
2007年4月に廃車となり、姿を消します。
2005年7月9日 長岡駅付近
▲ 東海道の英雄 寝台特急「富士・はやぶさ」号と顔を合わせ。
「こんな時代もありました」と言わなくてはならない日が、
もうすぐ来てしまいます。
2005年11月27日 東京駅
1982年11月15日に開業した上越新幹線は
今年で開業25周年。
この節目の年に、静かに幕を下ろす車両がある。
200系F19編成。
魅力はなんといっても 開業当時のままの白と緑のカラーリングだ。
25年間 雪に阻まれてきた北陸・東北地方の希望となって走り続けてきた。
新幹線は在来線車両に比べ厳しい環境の中を走る上、
高速で安全な乗り物でなければならないという観点から、
在来線の車両よりも寿命が短い。
そのため、開業当時から走りつづける200系編成は
新型車両の投入も相次ぎ、その多くがすでに廃車となった。
延命工事を受ける編成もあるが、カラーリングはリニューアルされた。
原色の白と緑のツートンカラーを守っている200系は
現在ではF19編成のみになった。
しかし、
この編成も2007年4月をもって廃車・解体されることになった。
開業以来の上越新幹線の原色デザインは 絶滅する。
「たくさんの出逢いと思い出をありがとう」と書かれた横断幕とともに
JR主催のさよなら展示会が行われた。
2007年3月25日(日) 上越新幹線燕三条(つばめさんじょう)駅13番線
▲ 記念パネルで写真撮影する親子連れが多くいました.。
▲ 車内案内ポスター。 12両編成でグリーン車は11号車、
ビュッフェ(カフェ)は9号車です。
▲ ビュッフェ。立ちではありますが、風景を眺めながら
コーヒーを飲んだり軽食を食べたりできるところでした。
管理人が初めて新幹線に乗ったとき、父親とビュッフェへ探検気分で行きました。
新幹線のデジタル速度計(写真中央奥)を見ながらアイスクリームを食べようと
はりきったのですが、背がたりなくてカウンターまで口がとどかず、
結局座席に持ち帰って食べた記憶があります
(笑)車内販売とかわらんやん・・・
▲ 今回のイベントで、車内見学券購入者に特別販売された
「ビュッフェカレー」。 当時と同じ容器、量、味を再現したものでした。
休憩用に開放されていたグリーン車で試食しました。
▲ ロール式行先表示は、新幹線では珍しくなりました。
イベントでは 表示できるすべての行先を3分間隔くらいで
順次表示していただけました。
東北新幹線やまびこ八戸行の表示も・・・
▲ 開業当時は「あさひ」と「とき」の2つの列車名がありましたが、
「あさひ」と「あさま」(長野新幹線)を間違えやすいとの意見と、
新潟らしさをアピールしたいという新潟県の要望を受け
「あさひ」は廃止され、 現在は「とき」が上越新幹線の列車名になっています。
▲ 写真左は同じ200系ながらリニューアル工事を受けた
新カラーの編成です。新旧カラーが並びました。
▲ 記念グッズも発売されました。
1階コンコースでは完全にお祭りでした.。
「ヨッサッコイ、ヨッサッコイ!!」
あの〜「お別れ」イベント なんですけど(笑)
ま お世話になった新幹線を 元気に送り出してあげようではありませんか
▲ 展示会が行われた燕三条駅。
三条市、燕市は
洋食器と金物職人の町
です。
昔からライバル関係のこの2都市。
ちょうど町境付近に新幹線と高速道が建設されたため、
駅名を「燕」にするか「三条」にするかでケンカになったそうですが、
そこは仲良く
新幹線の駅名を「燕三条」、
北陸自動車道のI.C名を「三条燕」 とすることで
一件落着したそうです・・・。
県内一の参拝客数と大鳥居で有名な「弥彦神社」へは、
JR弥彦線に乗り換えです。
写真右上の、駅にある鳥居をくぐると弥彦線乗り場です。
また旧白根市、見附市と並ぶ
六角凧の文化が息づいています。
2007年3月25日 燕三条駅
▲ 東海道新幹線から 同じ丸顔のゼロ系が1999年に姿を消し、
ついに2007年 上越新幹線からも原色の丸顔が姿を消します。
最後の新幹線
たくさんの出逢いと思い出をありがとう。
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