戦前から走りつづけている大阪ー青森間の夜行列車。
寝台特急日本海はその代表的存在だ。
厳しい自然が立ちはだかる日本海側を
1日2往復、黙々と走りつづけてきたその姿は 非常に頼もしい。
しかし、
その「日本海」も 2008年3月のダイヤ改正で1往復が消滅することとなった。
ダイヤ改正後は「〜号」という表記はなくなり、
さらにはダイヤの都合上 荒れ狂う日本海と列車の共演を
明るいうちに見ることができなくなるのだ。
冬の青春18きっぷ 期限最後の2日間、
最後となる 特急日本海と「荒れ狂う日本海」との共演を撮影するため
秋田への旅に出た。
▲ 秋田への旅は 管理人初乗車の「きらきらうえつ」でスタート。
もうおなじみとなった新潟ー酒田間の観光快速列車。
全車指定。青春18きっぷと指定券510円で乗れる。
乗車率は90%程度で オフシーズンにしては混んでいるなという印象。
ラウンジや車窓からの日本海の眺めが楽しみだ。
▲ 村上を過ぎた頃 待望の日本海が車窓に登場。
向こうに見えるのは粟島(あわしま)だ。
羽越線の旅は このあともずっと日本海沿いを進む。
▲ ラウンジには 2008年ねずみ年にちなんで
日本でただ1つの「ねずみ」という漢字の入った駅名
ここ羽越線の「ねずかせき」駅の記念スタンプがあった。
日本海を見ながらの昼食は 新潟駅の駅弁
「鮭とニシンの親子わっぱ飯」〜
▲ 山形県に入ると 青空は見えるものの、
次第に灰色から「黒い海」へと変身し始める。
(山形県鶴岡市JR羽越線あつみ温泉駅付近にて)
▲ 終点酒田駅の1つ手前 余目(あまるめ)駅で途中下車。
明らかに新潟よりも寒い。氷点下4℃。秋田への道のりはまだ半分。
▲ 山形・秋田県境付近。日も傾き始め、
風がさらに強くなってきた。
さらに北へと列車は進む。
▲ 19時、長岡から340キロの果て。ついに秋田にたどり着いた。
今日の夕食は 秋田名物のハタハタ寿司だ。
しっかりとした身で淡白だが、身と皮の間のうまみが多いのが特徴。
・・・・・・そして いよいよ今日のメインイベント。
青森から来る寝台特急日本海を 秋田駅で待ち構える。
吹雪の中を走ってきた列車の「顔」。
どんな顔でやってくるか楽しみだ。
(写真:2006年2月25日直江津駅にて)
▲ 22時30分、定刻どおりに日本海がやってきた。
正面は 期待していた「雪まみれ」ではなかったが・・・・・・
最後尾は!!
▲ 真っ白に雪をかぶっていた。ここまで真っ白なのは初めてだ!!!
(2008年1月19日 JR奥羽本線秋田駅にて)
▲ 冷凍庫の中を走ってきたかのようだ。
▲ 大阪へと旅立っていった寝台特急日本海4号。
「この雪は秋田の雪なんだよー」と 列車は大阪でrそっとささやくのかもしれない。
〜1月20日(日)〜
▲ 朝の秋田駅前の様子。
秋田新幹線開業以来、駅周辺の整備が行われ
街並みは近代的でかなりにぎやかだった。
駅は 秋田杉をモチーフにしたあたたかい色あい。
▲ 朝7時。秋田から普通電車で20分ほどの道川駅で下車。
ここから 寒風吹きすさぶ日本海を前に寝台特急日本海3号の撮影に挑む。
このときのために 長岡から長靴でやってきた。
冬の撮影旅は完全防備で。
そしてついにその瞬間がやってきた
▲ 道端での撮影になってしまい 海が大きく入らなかったもの
荒れる日本海を横に走る寝台特急日本海の姿を しっかりと捉えた。
(2008年1月20日 秋田県由利本荘市JR羽越本線道川駅付近にて)
▲ マークが見えなくてちょっと残念だが、
寒さ、厳しさは伝わるだろう。
▲ 秋田駅に戻り スタンプを押して お土産を買い 帰りの列車へ。
昼食は 駅弁コンクールでグランプリをとった「秋田まるごと弁当」
秋田の山あいに見られる合掌集落の屋根をかたどった三角形の駅弁。
夏の風物詩「竿灯祭り」の提灯をイメージした焼きおにぎりや皮内地鶏など 秋田の味がいっぱい。
▲ 酒田ー新津間を4時間かけて走る長距離普通列車。
この列車のおかげで、秋田ー長岡間はわずか2回の乗換えでOK。
▲ ひたすら続く灰色の空と日本海。
冬の日本海を見るのが好きな管理人だが、さすがに2日間も見続けただけに
「(灰色の海は)もういいよ」と言ってしまった。
新潟の冬を一度でも否定的に思ったことがなかった管理人、
こんなことを口走ったのは初めてかもしれない。
ともかく、粟島が見え、新潟に戻ってきたんだなと実感すると 旅も終わりだ。
▲ 「戻ってきた」とほっとする瞬間。
長岡ー秋田間普通列車による往復を達成。
(2008年1月20日 新潟市JR信越本線新津駅にて)
▲ 秋田土産の「きりたんぽ鍋」で旅は終わった。
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