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■ 長崎を さるく!?
最終日は長崎の名所をさるく。
さるくとは長崎の方言で 標準語では「歩く」の意味。
坂の街と言われるだけあって
山の上まで住宅街が広がる。
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■グラバー園
明治初期ヨーロッパの技術を広く日本に広めるために来日した
技術者や貿易に成功した商人、外交官たちが居住した洋館を、
当時のまま、もしくは移転して残している。
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中でもトーマス・ブレーク・グラバー(イギリス)は
明治5年(1872年)新橋ー横浜間の日本初の鉄道開通より7年早く、
ここ長崎に 400メートルの線路を敷き、イギリスから持ち込んだ蒸気機関車を使って
公開運転を行った。
日本の鉄道はグラバー無しには語れないのだ。
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■国宝大浦天主堂
1872年に建てられた 現存する日本最古の木造教会。
厳しいキリシタン弾圧で殉教した26人のキリスト信者へ捧げる教会として
建てられた。なので正式名称を「日本二十六聖 殉教者天主堂」という。
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■孔子廟(こうしびょう)中国歴代博物館
ヨーロッパの次は中国。
儒学の祖であり学問の神様でもある孔子の遺品を祭った建物で、
中国北京故宮博物院の国宝書物も展示されている。
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■平和公園 教師と教え子の像
長崎の歴史上最大の悲劇ともいえる「原爆投下」。
平和公園内あるたくさんのモニュメントの中に
犠牲となった教師たちと児童、生徒たちの無念さを伝えるものがあった。
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■千羽鶴とともに
平和公園内には いたるところに千羽鶴が飾られていた。
鶴を束ねているリボンに多く書かれていたのは
「二度と繰り返さないで」という言葉。
言葉の重みを感じる。
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■長崎原爆 落下中心地
昭和20年8月9日11時02分 原子爆弾はこの上空500メートルでさく裂。
爆発から3秒で、付近の温度は3000〜4000℃に達し、
人の体は一瞬にして炭となった。
死者7万5千人。長崎の街はここを中心に壊滅した。
ここが中心と分かったのは、黒く焼け焦げた木がまっすぐ
立っていたからだとのこと。
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■平和の像
長崎平和公園のメインともいえるモニュメント。
天を指した右手は「原爆の脅威」を、
水平に伸ばした左手は「恒久平和」を、
閉じた目は、原爆犠牲者の冥福への祈りを
それぞれ表している。
当時を物語る資料や案内を見るたびに、今自分が、
こうして生きているということが 奇跡的なことなんだなと実感した。
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■浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)
大正時代のキリシタン弾圧にも耐え、自由を得た
浦上地区の信者たちが建てた教会。
中には 被爆したマリア像が安置され、命の尊さを訴えかけている。
内窓には24枚のステンドグラスが配置され、
差し込む日の光がなんとも美しかった。
帰り道、後ろを振り向くと、
それまで曇っていた空が嘘のように晴れ渡り、
澄んだ青空に天主堂が輝いていた。
今回の旅で最も長崎らしい風景、そして思い出に残る風景だった。
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今回の大分・長崎の旅。
スタンプ帳もいっぱいになった。
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九州での思い出とたくさんのお土産を持って
特急富士で帰路につく。
ブルートレインで九州の旅を締めくくれるのも
これが最後。
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