寝台特急富士お別れ記念 別府ー長崎の旅 4
2008(平成20)年12月27日(土)〜31日(水)   撮影地:長崎市
  ■ 長崎を さるく!?

最終日は長崎の名所をさるく。
さるくとは長崎の方言で 標準語では「歩く」の意味。
坂の街と言われるだけあって
山の上まで住宅街が広がる。
■グラバー園

明治初期ヨーロッパの技術を広く日本に広めるために来日した 技術者や貿易に成功した商人、外交官たちが居住した洋館を、 当時のまま、もしくは移転して残している。
  中でもトーマス・ブレーク・グラバー(イギリス)は  明治5年(1872年)新橋ー横浜間の日本初の鉄道開通より7年早く、 ここ長崎に 400メートルの線路を敷き、イギリスから持ち込んだ蒸気機関車を使って 公開運転を行った。
日本の鉄道はグラバー無しには語れないのだ。
■国宝大浦天主堂

1872年に建てられた 現存する日本最古の木造教会。 厳しいキリシタン弾圧で殉教した26人のキリスト信者へ捧げる教会として 建てられた。なので正式名称を「日本二十六聖 殉教者天主堂」という。
  ■孔子廟(こうしびょう)中国歴代博物館

ヨーロッパの次は中国。 儒学の祖であり学問の神様でもある孔子の遺品を祭った建物で、 中国北京故宮博物院の国宝書物も展示されている。
■平和公園 教師と教え子の像

長崎の歴史上最大の悲劇ともいえる「原爆投下」。 平和公園内あるたくさんのモニュメントの中に 犠牲となった教師たちと児童、生徒たちの無念さを伝えるものがあった。
  ■千羽鶴とともに

平和公園内には いたるところに千羽鶴が飾られていた。 鶴を束ねているリボンに多く書かれていたのは 「二度と繰り返さないで」という言葉。
言葉の重みを感じる。
■長崎原爆 落下中心地

昭和20年8月9日11時02分 原子爆弾はこの上空500メートルでさく裂。 爆発から3秒で、付近の温度は3000〜4000℃に達し、 人の体は一瞬にして炭となった。 死者7万5千人。長崎の街はここを中心に壊滅した。 ここが中心と分かったのは、黒く焼け焦げた木がまっすぐ 立っていたからだとのこと。
  ■平和の像

長崎平和公園のメインともいえるモニュメント。
天を指した右手は「原爆の脅威」を、
水平に伸ばした左手は「恒久平和」を、
閉じた目は、原爆犠牲者の冥福への祈りを
それぞれ表している。

当時を物語る資料や案内を見るたびに、今自分が、 こうして生きているということが 奇跡的なことなんだなと実感した。
■浦上天主堂(うらかみてんしゅどう)

大正時代のキリシタン弾圧にも耐え、自由を得た 浦上地区の信者たちが建てた教会。 中には 被爆したマリア像が安置され、命の尊さを訴えかけている。
内窓には24枚のステンドグラスが配置され、 差し込む日の光がなんとも美しかった。

帰り道、後ろを振り向くと、 それまで曇っていた空が嘘のように晴れ渡り、 澄んだ青空に天主堂が輝いていた。

今回の旅で最も長崎らしい風景、そして思い出に残る風景だった。
  今回の大分・長崎の旅。


スタンプ帳もいっぱいになった。
九州での思い出とたくさんのお土産を持って

特急富士で帰路につく。

ブルートレインで九州の旅を締めくくれるのも

これが最後。






熱海まで13時間。

寝台特急富士 最後の旅が

いよいよ始まった。









つ づ く  

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