東日本大震災 石油列車新潟迂回運転 @

2011年3月23日(水)〜   撮影地:長岡市・三条市・新潟市・五泉市


ダイヤ改正と九州新幹線全線開通を翌日に控え、
日本の鉄道の明るい未来を誰もが予感していた 2011年3月11日(金)。
東日本大震災発生。

被災地では電気、ガス、水道、更には移動や暖房用の「油」が不足し、
被災地への石油輸送が急務となった。しかし、タンクローリー0だけでは
輸送量に限界があるため、救世主に抜擢されたのが、
「石油列車(石油タンク貨物列車)」だった。

声を上げたのは「JX日鉱日石エネルギー(根岸製油所)」。
JR貨物が協力し、不通となった東北線に代わって
被害の少なかった日本海側を迂回して被災地の近くまで
石油を届けるという緊急輸送が実施された。



ここでは、新潟県内を駆け抜けた石油列車の記録を紹介する。





▲ 盛岡に石油を運んで戻ってきた石油タンク車。長岡通過は深夜。
2011年4月1日(金) 0時33分ごろ 宮内ー長岡間にて




第1便は、震災から7日後の3月18日夜7時44分、神奈川県の日石根岸製油所を出発。
18両編成の石油列車に、タンクローリー(20キロリットル積み)
40台分にあたるガソリン387キロリットル、軽油4054キロリットルが満載された。
列車は深夜の上越線を通り、長岡を朝4時38分に通過、
新潟、秋田、青森を経由し、出発から26時間後の
19日夜10時頃、盛岡市の盛岡貨物ターミナル駅に到着した。
運ばれた石油は卸売業者を通じ、燃料不足が深刻化している
岩手県沿岸部の被災地などに届けられた。

3月22日からは更に1往復増発され、新潟経由盛岡行きの石油列車は
1日2往復となった。増発便は長岡を11時33分に通過、新潟貨物ターミナル
を経由して盛岡へと向かった。





▲ 最終列車到着後にホームで待ち構えていたのだが、
「駅を閉めさせていただきます。」の案内放送に
ビビリながら撮影した一枚。
2011年4月2日(土) 0時32分ごろ 長岡駅にて




▲ 憧れの黒タンク。懐かしさはもちろん、黒光りしたボディーからは
力強さ、そして頼もしさが伝わってくる。
2011年4月2日(土) 7時52分ごろ 新津駅にて






▲ 3月25日からは2往復に増発された盛岡行き。増発便は8両+コンテナだった。
2011年3月27日(日) 11時43分ごろ 見附ー帯織間にて






▲ 線路の近くでは 1両1両線路を渡るたびに
地面の振動が凄かった。これもまた頼もしさを感じる。
2011年4月3日(日) 13時29分ごろ 早通ー豊栄間にて






▲ 弥彦山をバックにタンク車が行く。
2011年4月2日(土) 11時47分ごろ 東光寺ー三条間にて






▲ 盛岡行き2往復に続き、磐越西線を通る郡山行きも運転開始。
長い20両編成。
2011年4月2日(土) 15時22分ごろ 見附ー帯織間にて






▲ 目立つ列車ではないが、まじめに、しっかりと役割を果たしている。
2011年4月2日(土) 6時54分ごろ 見附ー帯織間にて






▲ 越後平野を北へとひた走る。
2011年4月3日(日) 15時50分ごろ 矢代田駅にて




〜つづく〜





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