東日本大震災 石油列車新潟迂回運転 A

2011年3月23日(水)〜   撮影地:長岡市・三条市・新潟市・五泉市


3月25日からは、被災地の南側に当たる福島県郡山に向けて
20両編成の石油列車が運行を開始した。
根岸を午前10時過ぎに出発、長岡15時06分、その後新潟貨物ターミナルで
待機し翌朝1時ごろに出発、磐越西線を通って
26日午前6時20分ごろ郡山に到着した。
磐越西線には4年前まで貨物列車が走っていたが、今は廃止されていた。
そのため、震災後急遽全国から機関車が集められて輸送に当たった。



▲ 郡山行きの石油車は 新潟貨物ターミナルでディーゼル機関車に付け替えられる。
またここから勾配がきつくなるため 全20両を10両ずつに切り離され、2回に分けて郡山へと運ばれる。
写真は 新津駅で停車中の様子。ここからいよいよ磐越西線へと入る。
2011年4月3日(日) 7時30分ごろ 新津駅にて




  

▲ 新潟には重量貨物を運ぶディーゼル機関車がいないため、
今回の緊急輸送のために 全国から機関車が呼び集められた。
写真は 所属を表す名札のようなもの。
「吹」は吹田(大阪)、「門」は門司(九州)、「愛」は愛知。
2011年4月3日(日) 7時30分ごろ 新津駅にて






▲ 磐越西線を走る貨物列車は4年ぶり。
2011年4月3日(日) 7時30分ごろ 新津駅にて






▲ 重いためか かなりゆっくりしたスピードで走る。
2011年4月3日(日) 8時00分ごろ 新津−東新津間にて






▲ 東新津駅通過。
2011年4月3日(日) 8時00分ごろ 新津−東新津間にて






▲ 午前1時に新潟を出た郡山行き1便が 山を越えて帰ってきた。
2011年4月3日(日) 17時51分ごろ 五泉駅にて






▲ 長岡市中之島地区のレンコン畑に水が張られた。
その中を 郡山から戻ってきたタンク車が行く。左奥は弥彦山。
2011年4月6日(水) 7時02分ごろ 押切ー見附間にて(この日は遅れぎみ)






▲ 水鏡に映るタンク車。
2011年4月6日(水) 7時02分ごろ 押切ー見附間にて




上越線、信越線、羽越線、そして磐越西線。
緊急輸送を担った新潟県を走る鉄道が、
東日本大震災の復興に果たした役割は
非常に大きかった。



〜被災地の一刻も早い復興をお祈りしております。〜




戻る





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送